高野山真言宗吉祥山西方院は、神戸市垂水区にある、樹木葬などのご供養や地蔵盆などの行事を行うお寺です。
こちらでは高野山真言宗吉祥山西方院の住職が行っている
世の中に対する活動、事業について一部ですがご紹介しております。
※以下は神戸新聞、産経新聞などより抜粋したものを掲載しております。
垂水区の9カ寺が宗派の違いを越えてつくる
『垂水仏教会』は2011年3月5日、
托鉢などで集まった浄財を同区本多聞7の子育て支援センター
『子供の家』に寄付しました。
※タイトルまたは”詳細”ボタンをクリックすると、詳細文章をご覧頂けます。
「垂水仏教会」は一年で最も寒さが厳しいとされる1月の「大寒」に、
多聞、舞子、垂水地区などで托鉢をおこなう。
そこで集まった市民の善意を地元の養護施設や特別支援学校などに毎年寄付している。
『直葬15万円』といった看板を見掛けます。
『葬儀を安価でシンプルに』という風潮は、
葬儀費をめぐり理不尽な思いをした人が多いことの現れでしょう。
嘆かわしいことですが、そもそも葬儀は亡くなった人とその家族のためのもので、
決して葬儀社や寺のためではありません。
葬儀業者の都合に合わせる必要も義理もないのです。
肉親との別れという、人生で最も悲しく、つらく、
しかし清らかであるべき葬儀の場を、金儲けを考える人に汚されないようにしなければなりません。
普段から自分の死についてある程度の準備や心構えをしておくことです。
これと思う寺院から話を聞くのもいい。信頼できる人に見送ってもらうためのリサーチが大切です。
仕事柄、人の死に立ち会います。
リストカットを繰り返し、飛び降りで命を絶った女の子の葬儀がありました。
自死を目の当たりにしたときの無力感、情けなさは大変なものです。
遺族には『この子は私たちには計り知れないほどの荷物を抱えて生きてきたんです。』
としかしゃべれませんでした。
命は誰のものでしょうか。
自分のものですか。でも心臓は自分の意思ではとめたりできません。
私は、『命とは借り物』と思います。
何不自由ないくらしでも、
周囲に誰もいなければ幸せを感じることはできません。
人の中にいて初めて命の意味を感じることができるのです。
究極的には自分の命は人のためにある。これを仏教では、『利他』という言葉で表現します。
死ぬときに、『ああ、いい人生だった。』と思えるのが何より幸せなことです。
命を与えられ、いかに人のために生きられるのか。その積み重ねが『いい人生』になるのです。
戒名やお布施、お墓の問題は二の次。みなさん、日々を楽しく、明るく過ごしてください。
※(まとめ : 黒川裕生)
※神戸新聞抜粋